色分け

世の中には色んな方が居らっしゃって、
まだ親しく付き合ってもいない内から
相手を勝手に色分けしてしまうという
困った癖を持つ方がいらっしゃいます。

ここで言う「色分け」という意味は、
自分にとって、相手が「敵」か「味方」かという
選別をするということなのですが、

趣味や考え方、そして好みと違うというだけで
自分とは合わないと決めつけ、

更には、自分が嫌う人と交流を持つ人や
嫌いな人が属するグループの人たちまで、
勝手な色分けで「敵」とみなしてしまうという

まさに自己中心的な感覚で
人との出会いに壁をつくってしまう方がいます。

とは言っても、こういう感情というものは
多かれ少なかれ、誰しも持ってはいるものですが、
時折、被害妄想と言っても過言でないほどに
自分の感情に捕われ過ぎている方を目にします。

自分が常に人からどう思われているのか?
ということに固執するあまり、

自分が嫌いであったり苦手な人が、
自分のことを悪く言っているのではないか?

そして、それらの人と交流する人たちまで
同じだと固執してしまうことが、
自分の世界を狭めていることに気付くことが
必要ではないかと思います。

親との接し方

家族と仲が良い人は魅力がありますね。

そして、どこか余裕を感じます。

若い人にイマイチ魅力を感じないのは
まだ家族と仲良く出来る余裕を
感じられないせいなのかも知れません 😁

子供は親をいつか追い越す時が来ますが、
きっと「追い越した」と自分が思った時に
親に対して、そして家族に対して
優しくなれるんじゃないでしょうか?

ある程度の歳をとってからも
まだ親とぶつかってる人が居ます。

そんな方は、まだ親を追い越していないのでしょう。

親に優しくするというのは、
決してマザコンといった類いのものではありません。

親の小言やわがままを優しく聞きながら、
同時に間違っている部分は優しく指摘するくらいの
精神的余裕が持てるようになれば
完全に親離れが出来たということで、

その時は、きっと親の存在がとても有り難く
そして例えようもない愛しさを感じるものです。

どんなに仕事が良く出来ても、
どんなに自分に部下が沢山できたとしても、

自分の親を追い越していない人には
誰も付いて来ないような気がするオヤジです。

納豆で発見しました

冷蔵庫の納豆を取り出して食べようとしたら、
「賞味期限を過ぎてるんじゃないの?」との
家内の言葉にふと見ると・・・
確かに3日前の日付でした。

賞味期限などまったくおかまいなしで、
「一口食べて変だったらヤメりゃいいじゃねえか」
といういい加減な性格なもので、

まして「納豆ってもともと腐ってるものだ」と、
美味しくいただきながら、ふと思ったのでした。

「腐る」のと「発酵させる」とでは
どえらい違いじゃねえか・・・なんてね ^ ^

腐ったものを食べれば害になるけれど、
発酵させたものを食べれば身体に良い。

なるほど・・・これだよ、人生も。

なんて、オッサンは重大発見をしたのです。

いい加減に生きてりゃ、歳をとるにしたがって
自分の意志とは裏腹に、周りに迷惑を掛ける一方。

しかし・・・真剣に生きてりゃ、歳をとっても
少しは周りに良い影響を及ぼすこともできるだろう。

失敗続きの人生だけど、
誰かのために挑戦した失敗なら

きっと「腐った」んじゃなくて
「発酵」しつつあるんだと

勝手な持論をつくりあげながらも、

あらためて納豆に勇気をもらった
アホなオッサンなのでした ^ ^