結婚って?

親しくしている女の子が、やけに真面目な声で
「ちょっと相談がある」って言うので、

旦那と何があったのかな?と思ったら、
案の定、離婚を考えているとの愚痴でした。

恋愛結婚から5年目に迎えた
初めて?の危機と言えるものでしょう。

いくら親しいからといっても、
人様の結婚生活や家庭のことに口を挟んだり
偉そうにとやかく言うことは極力避けて、

彼女の愚痴を「ウン、ウン・・・」と
聞くしかありませんが、

そんな中、ふと気付いたことがありました。

「相手を好きになった理由が、
実は、別れる時の理由になるものである」

以前何かの本で読んだ覚えがあります。

自分が気付かないことや出来ないことを
相手が持っているからこそ、
魅力的に見えるのかもしれません。

人は自分と違うものを持っている人に心を惹かれ
そして一緒になりたいと願うものですが、

時間が経つにつれ、
今度は自分と違うところを
不満として感じるようになるのです。

もちろんすべてがそうだとは思いませんが、
人間とはいやはや困ったものです。

実は、離婚原因のトップは男女とも共通で、
「性格の不一致」だということですが
前述の彼女たちの場合もこれだと言います。

しかしながら、もともと性格なんて
結婚前から一致などしている筈も無く、

好きだからという理由で
必死に合わせていただけなのか・・・
もしくは、違っていても許せると
思い込んでいただけなのかも知れませんから、

今更、性格が云々と理由をつけるのは
互いに無責任であるような気がします。

彼女たちの危機はさておき、
夫婦にとって一番大切なことは何なのでしょう?

それは「常に原点にもどる」ことなんじゃないのか、
なんてオヤジは思うのです。

どんなカップルも、二人で幸せになろうと思って
結婚したんじゃなかったのでしょうか?

これから結婚しようとする方への提案です。

結婚する時は、相手のためじゃなくて
自分の心が幸せになれるかを一番に考えましょうよ。

それでこそ、結婚という判断に自分で責任を持てるから。

そして、結婚したら
今度は相手の心が一番幸せになれる方法を考えましょう。

そしたら、二人とも幸せな人の隣に居られる筈。

なんて思った無責任オヤジなのでした。

神仏は、大きな親だと思う

日本の神道には「共働共食」という言葉があります。

常に神様と共に働き、神様と共に食事をする。
働いている、食べているのは自分一人のようだけれど、
本当は神様があなたと共にいて下さるということ。

仏様も同じではないかと思うんです。
私たちが毎日生活をする中で、
嬉しいこと、辛いこと、腹が立つこと、悲しいこと・・・
そのすべてを、仏様・ご先祖様が
そばで見守って下さっているということが分かれば、
私たちは勇気が出ます、元気が出るんです。

そして、なによりもそばに居て下さるということに感謝できるんです。

四国の札所巡り、お遍路さんを皆さんご存知ですよね。

お遍路さんの白い装束には、背中に「同行二人」と書かれています。
昔は、札所を巡るのにすべて足で巡っていましたから大変な苦行でした。

自分一人で歩んでいるようだけれど、
実はお遍路には常に弘法大師様が共に歩んでいて下さるのだと。
だから自分とお大師様の「同行二人」と書かれているのです。

キリスト教においても同じことがあるんです。

キリスト教の詩編の中に「フットプリント」
日本語で言うと「足跡」という詩があります。

神を信じるある男性が、その苦悩を綴った詩なんですが、

主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、
あなたはどんな時も私とともに
歩んでくださると約束されたではありませんか。
でも、私の人生で最も苦しかった時、
足元には二つではなく
ひとつの足跡しかありませんでした。
私が最もあなたを必要としていた時、
どうしてあなたは私とともに居て下さらなかったのですか?

その言葉に主は答えられた。
「私の可愛い子よ、私はあなたを愛しています。
決して見捨てたりはしません。
あなたが試練や苦しみの真っただ中にあった時、
たった一組しか足跡がなかったのは
その時、私があなたを背負って歩いていたからなのです。

もうおわかりですね。

どんな宗教であれ宗派であれ、
神様仏様は常に皆さん一人ひとりのそばで、共に居て下さるんです。

そんなことあるわけない、ウソだと
それを信じる信じないは皆さんの自由です。

なぜならば、
皆さんがどう思うかという気持ちには一切関係なく、
神様や仏様は「いいんだよ、それで」と
笑って下さっているんです。

皆さんも、子供さんがいらっしゃるならば分かる筈ですが、
子供が小さい頃、なにか自分の要求が満たされなかったり、
叱られたりする度に「お母さんなんて大嫌い!!」って言われたでしょ?

じゃあ、「嫌い!!」って言われたからって、
私も嫌い!!って思いましたか?
笑ってたでしょ?

神様仏様も、いつも笑って
私たちを見て下さっているんですから、

私たちの大きな大きな親だと思ったらいいんです。

美しい身終いとは?

現代社会において、宗教離れはどんどん加速しています。

宗教離れというよりは「信仰」というものが、
急速に薄れて行っていると言ってもいいでしょう。

その原因は何なのか?といえば、
家族の形態が時代とともに変わって来たことではないかと思います。

昔、といっても、たった20年30年前には
三世代同居というものが何処の家庭でも一般的でした。

毎日食事の前には仏壇や神棚に、
ご飯やお水をお供えしてから食事をいただいたもので、
私などもよく母親から「これ仏さんにお供えしてちょうだい」と、
お手伝いをさせられたものでした。

こうして仏様や神様にお供えして手を合わせるということ、
そして家族揃ってお墓参りをすることで、
日常生活の中で、自然と「信仰心」というものが
当たり前のように育まれて行ったんです。

ところが、子供たちは今や都市部で生活したり、
親と同じ地域に暮らしていたとしても
それぞれ別の家庭で暮らすという生活形態から、
これまで代々引き継がれて来た神様や仏様に対する
「畏敬の念」というものが失われて行ったんです。

私どもは「終活」を「美しい身終い」と呼んでいます。

「身終い」という言葉は辞書で引かれても無い
私どもが勝手に作った造語なんですが、
通常皆さんがご存知の「身支度」という言葉と
同じニュアンスだと思って下さい。

私たちが普段の生活の中で使う言葉では、
「身支度」というよりも「着替える」という言葉を使います。

外へ出掛ける時、買い物や遊びに出掛けたりする時、
そして仕事に出掛ける時など、
私たちは家着から外出用の服に着替えるんですが、

そんなシーンでは、どちらかと言えば
「着替える」という言葉が適当なんです。

ところが、結婚式そしてお葬式に参列する時はどうでしょう?

そんな場合は「着替える」というよりは
「身支度を整える」と言った方が適当な気がしませんか?

では、なぜ「着替える」ではなく
「身支度を整える」と言う方がふさわしいんでしょうか?

それは、お祝い事、そしてお葬式というものには、
神様・仏様がそこにいらっしゃるからです。

結婚式は神様に新郎新婦が永久に添い遂げるという約束を
神様の前で誓う儀式です。
そして、お葬式は亡くなった方をお見送りする儀式です。

私たちは神様、そして仏様という、
私たちに見えない存在の大いなる存在の前に立つ時には
その大きな存在に対する畏敬の念から、
きちんと身を正して相対する覚悟をするんです。

だからこそ、単に外出するための着替えではなく、
「身支度」というものを整えるんです。

私どもの「美しい身終い」とは、
私たちの目に見えない世界に導かれるために
常に心の準備をしながら、

いつお迎えに来ていただいてもいいように
ジタバタせず「お待ちしておりました」と言えるための
心構えをしていただきたいとの願いから
「身終い」と呼んでいるんです。

やさしさを学ぶ

「優しい人間に育って欲しい」
「人の痛みがわかる人になって欲しい」

テレビのインタビューで
子供を持つ親御さんたちが、
我が子に期待する言葉でした。

親が子供に対して望むことであり、
そして恋愛対象においても
「優しい人」を理想とするものですが、

では、いったいどうすれば
そんな優しい心に育つのでしょう?

優しさは学校で学んだり本やテレビを見ても、
簡単に育むことができるものではないと思います。

子供ができたら動物を飼うことで
命の尊さや優しさを
学ばせることができると言います。

それは確かに良い方法だと思いますが、
そうは言っても、動物を飼うということには
命に対しての責任や飼育環境の問題も伴う訳ですから、
簡単に動物を飼うという訳にもいきません。

しかし、実際はそんな方法よりも
確実なことがありそうな気がします。

「お父さんを大切にするお母さん」

そして

「お母さんを大切にするお父さん」

日常生活において、この姿を見せることで
子供は愛の本質を知り、そして優しさを学ぶ筈です。

お母さんと二人で買い物に出掛けた時、
母親が「これ、お父さん大好きだよね」と
父親の大好物を見つけて嬉しそうに買う姿、

自分の服を買おうと出掛けた筈なのに、
「コレ、お父さんに似合うかなぁ?」と、
いつの間にか、父親の服を手に取ってる母。

そして、父親といえば
食事のあと、気持ち良くうたた寝を始めた母親に
タオルケットをそっと掛け

「お母さんを起こさないように片付けるぞー」と
子供と静かに食器を片付けたり

ゴミ出しだって「重たいからオレが運ぶよ」と
いつも母親をいたわるという

普段のなにげない両親の言動の中にこそ、
子供は優しさと、その表現方法を学ぶ筈です。

優しさとは教えられるものではなく、
体感するものではないのかと思います。

常に両親が互いをいたわり合い、
そして共に喜び合う姿を、傍で目にすることで

いつのまにか「優しさ」というものを
吸収していくのではないのかな?と思うオヤジです。

母親になる

その子が10代の頃から親しくしている女の子が居ます。

一昨年、25歳で結婚するまで、
髪を金髪や紫色に染め・・・
鼻と口にはピアスをして、

時折出会う場所といえば、
コンビニあたりで、ウンコ座りに、くわえ煙草で

「オッチャン! 久しぶりッ!!」と
声をかけてくれるような有様でしたから、
お世辞にも素敵な女の子だとは言い難いものでした。

妊娠が先ではあったものの、
結婚するという報告を聞いた時、

「そうかぁ、良かったなぁ!
いいお母さんになるんだぞ!!」と言った私に

「さあ・・・どうだろ? なれるかなぁ?」
なんて答えていたくせに、

その後・・・会う度に髪の毛は次第に黒くなり、

先日会った時には
すっかり黒くなった髪の毛と、

「子供が引っ張るから、ピアス外しちゃったよ」
なんて言い訳してたけど・・・

ホントは、もうそんなものが必要ないくらいに、
すっかり心が満たされた様子の彼女を見て、

母親になるってスゴイことなんだって感じました。

 

妊娠すれば、女性は必然的に母親になるのでしょうが、

実際は「なる」んじゃなくて「なっていく」のが
本当なんだろうなぁ・・・なんて、

素敵な母親に変身しつつある彼女に、
あらためてエールを送ったオヤジなのでした。