子供の居ない夫婦の相続

お子さんがいないご夫婦の相続は、
意外な親族が相続人となる可能性があります。

それで納得できるのであれば何も問題はありませんが、
せっかく夫婦で築いた財産ですから、全てを配偶者に残したい。
もしくは、恩人などの第三者に譲りたいと考えることも、
決して悪いことではないと思います。

では、遺産相続させたい伴侶や第三者など、
譲りたい相手にちゃんと渡すためには、どうすれば良いでしょうか。

それは、適正な遺言書を残しておくことです。

これは子どもがいる、いないに関わらず、
円滑な相続のためにはとても大切なことですが、
子どもがいない夫婦の場合はより重要度が高いことなのです。

ある子供の居ない友人からこんな質問を受けたことがあります。

「遺言書に『遺産はすべて家内に譲る』」と書いておけば
間違いない訳だよな」という質問でした。

少しややこしい話になりますが、
遺産相続には「遺留分」という制度があります。

これは、法定相続人となる権利を持つ人間が、
本来分配されるはずの遺産を不当に得られない場合に、
「遺留分減殺請求」ということをすれば
本来得られる相続分の半分は保証されるという権利です。

例えば父母と子供二人の家庭において、
子供の一人が放蕩息子で親に迷惑を掛け続けたため、
父親がその子には遺産をやらない旨を
遺言書に書いて亡くなった場合、
母親ともう一人の子供だけが相続することになるのですが、

その放蕩息子が「遺留分減殺請求」をすれば、
本来貰う筈の遺産額の半分は保証されるという制度なのです。

ですから、先ほどの友人の話に戻れば、
例え遺言書に「家内に遺産はすべて譲る」と書いたとしても、
子供の次に法定相続順位に当たる、自分の親が居た場合には
必ず奥さんに相続分が全額行くとは限らないのです。

何故かというと、彼の父母がそれに対して不満を感じ、
遺留分減殺請求をした場合には、父母の権利である相続分
3分の1の半分である6分の1を
奥さんは父母に渡さなければならないのです。

ただ友人の場合、ご両親はすでに他界なさっているので、
実際には彼の兄弟が法定相続人となるのですが、
兄弟姉妹にはこの遺留分減殺請求権がありませんから、
私の友人の場合、彼が遺言書を書いておけば
兄弟姉妹から遺留分の請求はできませんから
すべての財産は確実に伴侶に残せるのです。

以上のように、法定相続人というのが誰になるのか?
また、それらが遺留分請求が可能な者なのか?など、
条件はそれぞれ異なってくるとは思いますが、

いずれにしても、遺言書を作成するということは
話し合っておくべきだと感じます。

老後の人間関係

久しぶりに知人と酒を交わしました。

年上ではあるものの、仕事の関係で親しくなり
プライベートでもお付き合いをさせていただく方で、

一昨年職場を退職されたため
会う機会がまったく無くなったものですから、
「どうしてる?」とこちらから連絡したら、
待ってましたとばかりに会うことになったのでした。

退職後は悠々自適な生活で、
楽しい毎日を送っていらっしゃるものと
私は想像しておりましたが、

ご本人がおっしゃるには
「確かに自由時間があるんだけど、
逆に、することが無くて毎日退屈している」とのこと。

そういえば、現役の頃の颯爽とした容貌が
「老けられたなぁ」と感じるほどに変わっていました。

正月の話題になった際、
「いかに自分が仕事人間だったかを痛感しています」と
ふと、ため息まじりにおっしゃいました。

退職後自宅に届く、自分宛の年賀状はほとんど無く、
妻や子供宛の年賀状ばかり。

毎年会社に大量に届いていた多くの年賀状も
今や自分宛に来る筈も無く、

いかに個人としての人間関係を築いていなかったのかと
今更ながらに気づいたとのことでした。

会社という組織の中でバリバリと働き、
高い地位に就いていらっしゃった方ほど、
退職後の人間関係に落胆なさることが多いのだろうと
あらためて気づきました。

しかし、私は思うのです。

子供時代から学生時代という非社会人の頃の友人は
損得勘定を含まない人間関係であり、
生涯の友としての関係を保ち続けられるものだとすれば、

社会人になり、仕事においての人間関係では、
損得関係や義理が絡むのは致し方ないものです。

だからこそ、退職したあとは
もう一度、損得関係抜きの人間関係を築くことが出来る
素晴らしいチャンスではないかと思うのです。

残された人生の中で、
新たに「死ぬまで付き合える友人」を何人作れるのか?

そんなことを老後の目標のひとつに掲げることも、
素敵な人生の楽しみ方ではないのかと
ふと思ったオヤジなのでした。

美しく老いる

細かい文字が次第に読みにくくなり、顔に頭に
しわや白髪が目立ち始める。
そして、様々な場面で身体の衰えを感じ始めるのが
「初老期」というものです。

この時期は「思秋期」とも呼ばれており
人によって様々ですが、
早い人では四十代から感じ始めます。

「思春期」が、大人になるために
心や体が大きく変化する時期であり、
それにどう対処し乗り越えて行けば良いのか思い悩みながらも、
誰もが通らなければならない苦しい戦いの時であるように、
「思秋期」もまた人生の大きな転機であり、
また戦いの時なのです。

これまでしていたことが次第に出来なくなり、
物忘れが激しくなるとともに
新しいことがなかなか覚えられないことなどから、
不安やあせりを感じ始めます。

何度も同じことを聞くことをためらい、
もう歳だからダメだと諦めることから、
自分の世界をどんどん狭くしてしまうものですが、
むしろ「今は新しいことを覚えるのに三倍の時間が必要だ」
と認めてしまえば済むことなのです。

また、この時期は「ウツ状態」になりやすい時で、
ウツは喪失感からやってきます。

この時期は自分が人生の新しい局面に向かう時でもあり、
あらゆる意味でウツになる要素を兼ね備えた時であり、
誰でも不安になるのはむしろ当然ですから、
こんなはずはないと否定するのではなく、

そういう年代になったのだと正しく受け止めることで、
それほどひどく落ち込まなくても済むのですが、
真面目でこれまでバリバリとなんでもこなしていた人ほど
陥りやすいものです。

やがて私達は更に年を重ね、
「老年期」という時期を迎えます。

どうにも頑張りが効かなくなり、
否応なしに自分の体の衰弱を認めざるを得ない時です。

そしてついには「老衰期」を迎え、
この地上での生涯を終えるのです。

ある婦人が年をとり、
やがてボケの症状も加わって言葉を失っていきました。

しかし、最後まで忘れなかったのは・・・

「まあステキ!」「ありがとう」「良かったね」という、
たった三つの美しい言葉だったのです。

あなたの最後には、
いったいどんな言葉が残るのでしょうか。

それぞれの時をふさわしく生き、
美しく老いていきたいものです。

仏壇ってなんだろう

仏壇ってなんだろう?なんて
時折ふと思ったりします。

昔から仏壇というものは各家庭に必ずあるもので、
私たちにとっては大変身近な存在でした。

家族が食事をする前にはまず仏壇にごはんを供え、
また、頂き物はまず仏壇に供えてからお下がりをもらうというように、
常に仏壇(仏様)を中心にして生活していたものです。

そのようにして、いつもご先祖が
私たちを見守ってくれているという意識が、
昔は現代よりもずっと強かったものですが、
現代は核家庭化が進み、
仏壇があるという日常を体験しない人がいるというのが現実です。

特に若い世代が親と離れ、
独立して世帯を構えることが多くなった核家族化が進む現代では、
仏壇というものに関心が薄くなってしまったことから、
ついには「仏壇って必要なのか?」という声さえ聞こえ始めています。

仏壇とは何のために存在しているのか?

私たちは、亡くなった先祖や親などに対して手を合わせながら、
日々無事に過ごせることへ感謝し、
また時には懺悔の気持ちを伝えることもあります。

人は何か困難に直面したり、大切な人を亡くした時、
何かに向かって手を合わせたいと思います。
その対象がまさに仏壇であり、
仏壇とは家の中にある寺院そのものなのです。

毎日お寺に行くのは大変ですが、
家庭に仏壇を置いてお参りするという行為は、
仏様に毎日お参りできるということが
本来の意味であるような気がします。

そういったことから考えてみれば、
いくら仏壇を置いたところで、
お参りしなければなにもなりませんから、
恐らく「仏壇は必要なのか?」と考えること自体が
「信仰心」というものに大きく影響されるものだと思います。

確かに仏壇や位牌そのものは、あくまでも「モノ」であり、
そこに故人の御霊が宿っていると考えることは合理的ではありません。
しかし、それらに敬意を表し大切に思うことで、
故人と自分たちの命のつながりを感じることができる
「架け橋」であり「寄りどころ」と考えれば、
仏壇の果たす役割を理解出来るような気がします。

仏壇の前に座ると必ず姿勢が正され、
自然に背筋が伸びたきちんとした態度をとります。
それは、仏壇に対して感謝と敬意の気持ちを表す
場だと考えているからではないでしょうか。

合掌の姿ほど美しいものはありません。
もし、親が日常生活で仏壇の前で手を合わせていれば、
たとえ難しいことはわからなくても、
子供はこれを見ながら何かを感じ取ってくれる筈です。

最愛の人

作家、水上勉さんについてのエピソードに
こんなお話がありました。

生まれつき足がご不自由だったお嬢さんに、
8歳の時、奥さんの骨盤を削って移植するという
手術をなさったとのことです。

手術の後、まだ麻酔の覚めないあいだ、
酸素マスクのわが子をじっと見守っていると
お嬢さんが誰かの名前を呼んでいるのです。

自分か、もしくは奥さんの名前だろうと
耳を澄まして聞いてみると・・・

なんと、それは自分たちではなく
小さい時から娘に連れ添ってくれていた
お手伝いさんの名前だったのでした。

「愛というものは、なんと厳しいものだろう」と
水上さんは絶句したそうです。

お嬢さんとお手伝いさんの間には、
親が我が身を削っても、なお及ばないほどの
深い「愛」があったに違いない。

深い闇の淵をさまよう娘が、
自分たち両親ではなく、その名前を呼ぶほどに
お手伝いさんは、いったいどれだけの愛情を
我が子に注いでくれたのだろう?

水上さんはお手伝いさんに感謝するとともに、
それ以来、「愛」という言葉を
軽々しく使わなくなったと書いています。

我が子が、もし死の淵において
無意識のうちに誰かの名前を呼ぶとすれば
それはいったい誰なのでしょうか?

それはきっと子供にとって「最愛の人」なのでしょう。

私は果たして名前を呼ばれるに値する愛情を
我が子に注いでいるのだろうか?

これからの課題になりそうな気がした
今朝のオヤジなのでした。