最愛の人

作家、水上勉さんについてのエピソードに
こんなお話がありました。

生まれつき足がご不自由だったお嬢さんに、
8歳の時、奥さんの骨盤を削って移植するという
手術をなさったとのことです。

手術の後、まだ麻酔の覚めないあいだ、
酸素マスクのわが子をじっと見守っていると
お嬢さんが誰かの名前を呼んでいるのです。

自分か、もしくは奥さんの名前だろうと
耳を澄まして聞いてみると・・・

なんと、それは自分たちではなく
小さい時から娘に連れ添ってくれていた
お手伝いさんの名前だったのでした。

「愛というものは、なんと厳しいものだろう」と
水上さんは絶句したそうです。

お嬢さんとお手伝いさんの間には、
親が我が身を削っても、なお及ばないほどの
深い「愛」があったに違いない。

深い闇の淵をさまよう娘が、
自分たち両親ではなく、その名前を呼ぶほどに
お手伝いさんは、いったいどれだけの愛情を
我が子に注いでくれたのだろう?

水上さんはお手伝いさんに感謝するとともに、
それ以来、「愛」という言葉を
軽々しく使わなくなったと書いています。

我が子が、もし死の淵において
無意識のうちに誰かの名前を呼ぶとすれば
それはいったい誰なのでしょうか?

それはきっと子供にとって「最愛の人」なのでしょう。

私は果たして名前を呼ばれるに値する愛情を
我が子に注いでいるのだろうか?

これからの課題になりそうな気がした
今朝のオヤジなのでした。