命の使い方

人生100年時代の到来と言われるようになりましたが、
厚生労働省の発表では、現在のところ日本の平均寿命は、
男性が約81歳、女性の方は約87歳だそうです。

たとえば65歳で定年退職して85歳まで、
一日10時間何かの活動したとすると、その時間は約7万時間。

これは一般的な人間が大学を卒業後、
就職をしてから定年退職するまでの労働時間と
ほぼ同じものになります。

それがいったい何を意味するのかといえば、
定年後が「余生」と呼ばれるには余りにも長く、
もはや新しい人生の始まりとして
積極的に生きて行く必要があるということなのです。

 

何歳から老年期と捉えるのかは人それぞれですが、
「どのように老いを生きるのか」という問題を、
私たちすべてが真剣に考える必要に迫られていると思います。

 

「私は木を切るのに忙しくて、斧を見る暇がなかった」

一人の実業家が定年後に語ったというこの言葉ですが、
寸暇を惜しんで他人よりも良い木をより速く、
より多く切ることに専念して働いたこの人が、
仕事をやめた時に見たのは、刃がボロボロに欠けた斧でした。

自分の分身とも言える斧を、
何故手を休めていたわってやらなかったかを
悔やんだ言葉ではないでしょうか。

自分をいたわる余裕もなく、
家族のために必死で働いたあげく、
やっと仕事から解放されたにも関わらず、

次に襲いかかって来たのは
「自分は何のために生きて来たのか?」
あるいは「これから何のために生きるのか?」という、
無力感や喪失感に苛まれる方たちもいらっしゃいます。

 

良くも悪くも仕事の中では、
誰でも一つの「歯車」という役割を果たしますが、
仕事から離れて、はじめて集団の中の「歯車」から
本当の一個人としての「自分」に戻ることができるのです。

だからこそこれからの人生は、歯車という部品ではなく、
自分という一人の人間をを必要としてくれる人のために、
命を使っていただきたいものだと願います。