信じるということ

「信じていた人に裏切られた」と
先日、知人が愚痴をこぼしにやってきました。

人は、誰かに一度大きな裏切りにあってしまうと
その後遺症から、人を信じることが怖くなってしまいます。

でも・・・信じ続けましょうよ!! と私は思います。

「信じていたのに・・・」と愚痴を言うのはまだ早すぎます。
そして「裏切られた」と思うのは、
ひょっとしたら、勘違いなのかも知れません。

人との関わりにおいては
「信用する」ということと「信じる」ということがありますが、
この二つの似た言葉は、まったく別のものだと私は思います。

「信用する」ということは、相手を評価した結論であるのに対して、
「信じる」ということは、自分の心が決めることであり、
「信じる」ことは、完全が選んだ能動的な結論なのだと思います。

「信用」では、人は損得勘定でしか生きられませんが、
「信じる」ことで、逆境を乗り切って生きることさえできます。

たとえば銀行が、いくら人が頑張ってるからといって
「人を信じて」お金を貸したりしますか? 

銀行に限らず「商売」というものは、所有しているモノに対しての
「信用」という評価によって取引をするだけで、
頑張っているという「心」ではなんの担保にもなりません。

人と人との交わりは、決して商売ではありません。

あなたが「信じていたのに・・・」と言うならば、
私はこう言いたいんですよ。

「本当になんの見返りなど求めず、相手を心の底から信じていたの?」

もし「はい」と答えられるほどの人に裏切られたのなら、
許してあげることだって、きっと出来るような気がします ^ ^

人は「誰かに心から信じられている」と知った時、
裏切ることなど決してできない生き物だと、私は思います。

それでも裏切る結果を出さなければならなくなった相手は、
きっと、あなた以上に後悔しているはずだと思うから・・・

「もういいから、苦しまないで下さいね」と言ってあげましょうよ

そしたら、二人ともきっと幸せになれると思います。