何故、終活なのか

テレビや雑誌、そして巷で開催される様々な終活関連のセミナー、
また、インターネット上には情報が溢れており、
今や終活に関する知識は簡単に手に入れることが出来ます。

「終活」というものを皆さんに知っていただくことにおいては
大変素晴らしいことであり、
私もその情報提供者の一員として、
年間100回を超える講演会やらセミナーを通して
全国の皆さんにお伝えしている身ではありながら、

矛盾を承知の上で申し上げるならば、
「終活など本当に必要なのか?」と、思うことがあるのです。

世の中は時代とともに刻々と変化し、
家族のあり方もそれに会わせて様変わりしておりますが、
今年64歳になる私などが幼い頃には
三世代同居の家庭というものは何処にでもある風景でした。

祖父母・父母・子供たちという三世代の人間が
共に生活する家庭においては、終活などという意識すら無く、

順番通りにいけば、お爺ちゃん、お婆ちゃん・・・と、
一人づつこの世を去って行く過程で、
残された家族はその悲しみを受け入れながらも
葬儀から片付け、そして供養までの一連の流れを
代々続けてきたものでした。

子供たちは葬式や火葬、お墓参りなど
親の後ろ姿を見ながら、そして肌で感じながら育ったため、
やがてその役割が自分に回って来た時には、
周囲の助言をいただきながらも
無事に務めを果たして来れたものです。

ところが、時代は変わり
三世代同居など到底不可能といえる時代と、
親世代の価値観も少しずつ変化した現代においては
親子の別居はいつの間にか当たり前の感覚となり、

子供と離れて生活する親にとっては、
「子供たちに迷惑を掛け無いように」と考え、
あるいは、子供を持たない夫婦にとっても
「自分たちの始末は自分たちでやっておかねば」という

ある意味、自分の生き方ばかりか「死に方」を
考えなければならない時代になったことが
終活という「方法論」が生まれた背景ではないのかと思います。

子供に、あるいは家族に迷惑をかけないようにという気持ち、
言葉を変えれば、家族に対する「配慮」や「心遣い」は
ある程度必要なことだと思いますが、

余りにも終活というものこだわりすぎて
何から何まで準備周到な終り方を考えるのは考えものであり、
少しは残った家族に、少しはやることを残しておくのも
配慮の一つかも?なんて思います。

終活で本当に大切なことは、
「家族に迷惑をかけないように・・・」ということよりも、

残された者たちが迷惑だとも思わないような
親子関係や人間関係を築いておくことが
重要ではないのか・・・と、私は思うのです。