美しい身終いとは

現代社会において、宗教離れはどんどん加速しています。

宗教離れというよりは「信仰」というものが、
急速に薄れて行っていると言ってもいいでしょう。

その原因は何なのか?といえば、
家族の形態が時代とともに
変わって来たせいではないかと思います。

昔、といっても、たった20年30年前には
三世代同居というものが何処の家庭でも一般的でした。

毎日食事の前には仏壇や神棚に、
ご飯やお水をお供えしてから食事をいただいたもので、
私などもよく母親から「これ仏さんにお供えしてちょうだい」と、お手伝いをさせられたものでした。

こうして仏様や神様にお供えして手を合わせること、
そして家族揃ってお墓参りをすることで、
日常生活の中で、自然と「信仰心」というものが
当たり前のように育まれて行ったんです。

ところが、子供たちは今や都市部で生活したり、
親と同じ地域に暮らしていたとしても
それぞれ別の家庭で暮らすという生活形態から、
これまで代々引き継がれて来た神様や仏様に対する
「畏敬の念」というものが失われて行ったんです。

私どもは「終活」という言葉を
「美しい身終い」と呼んでいます。

「身終い」という言葉は辞書で引かれても無い
私どもが勝手に作った造語なんですが、
通常皆さんがご存知の「身支度」という言葉と
同じニュアンスだと思って下さい。

私たちが普段の生活の中で使う言葉では、
「身支度」というよりも「着替える」という言葉を使います。

外へ出掛ける時、買い物や遊びに出掛けたりする時、
そして仕事に出掛ける時など、
私たちは家着から外出用の服に着替えるんですが、

そんなシーンでは、どちらかと言えば
「着替える」という言葉が適当なんです。

ところが、結婚式そしてお葬式に参列する時はどうでしょう?

そんな場合は「着替える」というよりは
「身支度を整える」と言った方が適当な気がしませんか?

では、なぜ「着替える」ではなく
「身支度を整える」と言う方がふさわしいんでしょうか?

それは、お祝い事、そしてお葬式というものには、
神様・仏様がそこにいらっしゃるからです。

結婚式は神様に新郎新婦が永久に添い遂げるという約束を
神様の前で誓う儀式です。
そして、お葬式は亡くなった方をお見送りする儀式です。

私たちは神様、そして仏様という、
私たちに見えない存在の大いなる存在の前に立つ時には
その大きな存在に対する畏敬の念から、
きちんと身を正して相対する覚悟をするんです。

だからこそ、単に外出するための着替えではなく、
「身支度」というものを整えるんです。

私どもの「美しい身終い」とは、
私たちの目に見えない世界に導かれるために
常に心の準備をしながら、

いつお迎えに来ていただいてもいいように
ジタバタせず「ハイ、お待ちしておりました」と
言えるための心構えをしていただきたいとの願いから

「身終い」と呼んでいるんです。